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研究所の経緯

都市交通研究所の設立


 都市交通研究所の歴史は古く昭和26年に遡る。同年、大阪市立大学で交通論を担当していた富永祐治教授を中心に、在阪大手私鉄5社(阪神、阪急、京阪、近鉄、南海)および名鉄、大阪鉄道管理局、大阪市交通局、日本通運大阪支店の企画・調査・運輸・経理担当の有志と関西在住の交通研究者とによって「陸運研究会」が組織され、大都市における旅客鉄道輸送に関する研究が開始された。
 戦後の復興から高度成長へと日本経済が展開してゆく中で、大都市の鉄道は通勤輸送を担う社会資本施設として重要な役割を果たすことになる。経済成長は大都市集中を伴ったが、それは膨大な通勤輸送需要を生み、大都市鉄道の輸送力増強は大きな課題となった。そこで、大都市高速鉄道の整備計画を審議するために、都市交通審議会が設置され、昭和33年には、大阪の都市交通に関する答申(いわゆる3号答申)が出された。昭和34年には、日本開発銀行による私鉄への融資も開始された。
 また、輸送力増強投資に伴う資本費の上昇は、賃金上昇とともに、運賃値上げ圧力となり、運賃問題は交通政策における重要な問題点となった。
 このような問題状況の中で、富永教授の定年退職を契機として、「陸運研究会」は発展的に解消し、関西鉄道協会の中に都市交通研究所が設立された。
 設立と同時に、富永教授は研究所の所長に就任され、その後約30年間にわたって研究所の研究活動を指導されたが、研究所設立の趣旨に関する富永教授の論述*の中に次のような文章がある。 「経済学一般についてもよくいわれてきたところだが、交通学は役に立たないというのが実務者の口から良く聞かされる評語である。これは、一つには理論の本質・現実的適用における限界をわきまえていないこと、つまり実践上の過大評価に基づくものであるのだが、研究者の側においても、交通事業の実体をよく捕えずに一般経済学から単純に引き写した抽象理論やモデル形成以上に進むことをしなかった責めを免れない。その上、現実の交通は、純粋な経済現象として現れるのでなく、そのほか技術や政治や人間心理等々の諸々の条件下で生起するものなのだから、実践科学として自己を主張し得るためには、対象への学際的な接近が必要である。」
「他方、交通業に従事する実務者の方は、部分的な狭い担当分野に閉じ込められやすく、自分が取り組んでいる問題の理論的な検討をする余裕がない。従って、広い視野からするその社会的意義を捕え、将来についての客観的な見通しをつけることができない場合が多い。経営上の判断を下そうとするとき、ややもすれば希望的な、あるいはいたずらに悲観的な予想に陥る虞がある。科学は、もし十分にその機能を果たしうるだけ成熟しているなら、この判断に対し、大げさに表現すれば必然性への洞察を提供することにより正しい指針を与えることができるはずである。」
「もし、実務者と学際的な研究者グループとが共同研究の場を持つことができるならば、各々の弱点を相互補完することにより有意義な成果が得られるであろう。・・・(中略)・・・仮に、実務者と研究者とがそのよって立つ体制的立場を異にする場合でも、協同は成り立ち得る。研究者が析出した問題の法則的帰結が経営的立場からみて好ましくないとき、その実践上の取捨はもちろん経営者の自由であるけれども、その帰結−が誤りでない限り−の無視が究極的にどのような結果を企業にもたらすであろうかは、懸命な経営者なら容易に見抜けるはずである。」
 関西の鉄道業界はこの趣旨に賛同して、関西鉄道協会の事業の一部門として都市交通研究所を設立したのである。当初は、阪神電気鉄道梶A阪急電鉄梶A京阪電気鉄道梶A近畿日本鉄道梶A南海電気鉄道梶Aおよび大阪市交通局が維持会員として、日本国有鉄道、名古屋鉄道(株)、神戸市交通局、京都市交通局が賛助会員として、研究所の調査研究活動を支えていたが、国鉄の民営化後、西日本旅客鉄道鰍ェ維持会員となった。


*『都市交通研究所の20年』(昭和60年11月、関西鉄道協会 都市交通研究所刊)、41〜42頁

研究活動の展開


 都市交通研究所か行う研究活動の管理・運営・企画のために、運営委員会と企画委員会が設置された。運営委員会は研究所の意思決定機関であり、維持会員の代表者および研究所所長(交通研究者)によって構成され、研究所の基本事項(予算・決算・企画委員の委嘱等)の審議・決定を行う。
 企画委員会は、交通研究者委員と事業者委員各若干名から構成され、研究テーマの選定等の研究活動の企画を行う。なお、同委員会の議長は研究所所長が務める。そして、選ばれたテーマごとに研究委員会が組織され、研究活動が行われる。
 上述の設立趣旨に従って、研究委員会は、交通研究者若千名と事業者側の研究委員(維持会員および賛助会員の各社・局から1〜数名)で構成され、通常、交通研究者1名が主査を務め、研究活動を指導・遂行することになる。
 つまり、事業者側の実務者グループと交通研究者のグループが一堂に会して共同で研究を行うわけであり、1つのユニークな産学連携モデルが形成された、といえよう。なお、交通研究者グループは経済・経営系の研究者と交通工学(交通計画学)の研究者とから構成されており、社会科学と自然科学との共同研究を実現した点でも先駆的であった。
 とりわけ、それらの研究テーマを決める具体的・積極的な意見交換の場として、昭和60年12月に交通研究者若干名と事業者側の研究委員(維持会員の各社・局から1〜数名)からなる「専門委員会」を設立(平成4年9月、[企画懇談会]に名称変更し、現在に至る)した。
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